嬉しい歌――長谷川麟『延長戦』5首評

歌会でたいへんお世話になった長谷川麟くんの歌集『延長戦』(現代短歌社)が出た。良い歌がたくさんあるが、ここでは読んで特に嬉しかった歌を紹介したい。

 

猫ひろう、ようにあたたかい朝だった 慣れた手つきで巻くたまごやき

この上なく幸福な朝の感触がここにあると思える。読点を入れ漢字をひらく手つきの巧みさも味わい深い。この読点は、ここでいったん切ることでまず「猫ひろう」イメージを読み手に強く印象づけるとともに、初句と二句の癒着を防ぎ韻律を引き締める効果を持っているようだ。

 

ミスドの箱持たせてもらってテンションのおかしくなっている男の子

ドーナツを買ってもらえて、その箱を持たせてもらって、嬉しさのあまり、はしゃぎまくっている男の子。それは私だったかもしれない。

 

プロレスを見に行くという約束のみずみずしさに自転車を漕ぐ

プロレスも楽しみだし、会うのも楽しみなのだろう、その喜ばしい期待感が推力を生んで、自転車はぐんぐん進む。

 

クリスマスツリーは大きい方がいい ときどき真っ直ぐに楽しい気持ち

途方もなく嬉しくなる歌だ。武装解除された気持ちになる。

 

図書館が積み木のように明るくてバリアフリーのゆるい坂道

卓抜な比喩だと思う。これも童心に帰るような嬉しい歌で、バリアフリーな気持ちにしてくれる。

 

読んでいて気持ちの良くなる歌集であり、ぜひ広くおすすめしたい。

す、すきとおる、さらに――相子智恵『呼応』五句評

すすきとるさらにあかるき薄とる

風邪薬甘きを飲みつ飲まされたし

初雀来てをり君も来ればよし

ロールケーキ切ればのの字やうららなる

砂払ふ浮輪の中の鈴の音

/相子智恵『呼応』

 

すすきとるさらにあかるき薄とる

一句目、秋のひかりにすきとおるすすきをとっていく、よりあかるいものにむかう澄んだこころ。好き。

 

風邪薬甘きを飲みつ飲まされたし

二句目、知らなかったが、風邪薬は冬の季語。風邪薬を飲まされたい、風邪を引いたときくらい子どものようにひとに甘えたい、だるいし。これだけですでに内容として充分なのだが、その気持ちが発生する機序まで表現されているのが素晴らしい。つまり、いったん風邪薬を飲んだ(「つ」でしっかり完了している)、甘い。実感されたその甘みによって、おそらく親に風邪薬を飲ませてもらった幼少期の記憶が呼び起こされる。だるくて熱があって、でも世話を焼いてもらえる、いつもより甘えられる。あのときのように、ひとに優しくしてもらいたい。こうして(風邪薬を)「飲まされたし」が出力されるというわけだ。こう書きながら、私も「飲まされたし」と言いたい気持ちになってきている。読み手の身体に響くとはこういうことなのだ。

 

初雀来てをり君も来ればよし

三句目、かわいい。は、き、き、く、よ、で始まる5・4・3・3・2の音が雀の軽快な囀りのようだ。君も来ればよし!

 

ロールケーキ切ればのの字やうららなる

四句目、ロールケーキの断面の「の」に明るくのどかな春がある。「の」の曲線の優美。

 

砂払ふ浮輪の中の鈴の音

五句目、砂浜で浮輪についた砂を払うときに、なかに入っている鈴が鳴る、その、あの、少しくぐもった音。

 

懐かしく新鮮な、気持ちの良い句集である。

 

 

いわば雨の子――芳賀博子『髷を切る』五句評

欠けてから毎日触れるガラス猫
俗にいう世界に一つだけの花
一年をかけて一年が終わる
まだ雪がちょっと残っている男
最後には雨の力で産みました


/芳賀博子『髷を切る』

 

一句目、欠けてからより頻繁に触れるようになったということ、と思うと、深い慈しみを感じる。「ガラス猫」も、新鮮な詩語としてだけでなく、猫への繊細ないたわりからくる表現としても受け取れる。


二句目、もはや紋切り型と化したフレーズのその紋切り型性を「俗にいう」で際立たせることによって、笑いを生むとともに、かえって比喩としての力を回復させているような感じもして、興味深い。


三句目、自明なことをあえてふざけて言っているのかもしれないし、驚いたり不思議がったりしているのかもしれない。一年を終えるのに十年くらいかかるひともいて、でもたまたま一年で終わったのかも。自明性が輝きながらみずからを掘り崩しているような。字足らずで、つまり定型より短い不安さも見逃せない。内容と違って、句としてはぴったりしていないのだ(それも面白いということ)。


四句目、「まだ雪がちょっと残っている」と「男」の接続が、決して派手ではないのに目覚ましい効果を挙げている。末尾のたった一文字で、雪の景が男の何事かの描写にスイッチする。鮮やかだ。

 

五句目、産出は諸々の力が合わさって起こる、そして特に最後の一押しは、やはり(俗にいう)人知を超えた力なのかもしれない。

 

味わい深い句に溢れた、秀逸な川柳句集である。

 

 

 

白鳥の肯定――堀田季何『人類の午後』五句評

蠅打つや自他の區別を失ひて

刎ねられし蛇いまだ指咬む力

向日葵や人撃つときは後ろから

生贄を使ひ切つたる旱かな

首振つて白鳥闇を受容れぬ

/堀田季何『人類の午後』

※原文の「受」の字は少し違います。

 

一句目、蠅に苦戦する様子がとても滑稽に表現されている。もはや狂乱である。

二句目、指を咬んだ蛇の首にあたる部分を刎ねたのだろう、それでも咬む力がある。生命力を感じもするし、怨念のようなものを読み取ることもできると思う。

三句目、向日葵は太陽のほうを向いて咲く、この向日性に対して、後ろから人を撃つことの陰湿さ、卑怯さが際立つのだが、当然のように言われることで結構なおかしみが生まれている。

四句目、旱を終息させようと生贄が次々に捧げられるも、甲斐なし。悲惨な事態だが、このようにすっかり完了したと言われると不思議と清々しい。

五句目、白鳥はみずからを肯定する。

肯定だけが自立した力能として存続する。否定的なものはこの肯定から雷光のように流出するが、しかしながらそこに再び吸収され、溶け込む明かりのようにそこに消え去っていく。

ジル・ドゥルーズ著・江川隆男訳『ニーチェと哲学』、河出書房新社、2008年、p.341。

存在の至高の星座よ、いかなる願いも届かず、いかなる否定も汚すことができない、存在の永遠の肯定よ、私は永遠にそなたの肯定である。

フリードリヒ・ニーチェディオニュソス頌歌』、「栄光と永遠」。前掲『ニーチェと哲学』より孫引き。

 

素晴らしい句集である。

 

 

コンテンツ

見たくなかった臓器

見たかった臓器なんてない

色を言いたくない 不健康

校則に反してる

グローバルにはウケる?

いやいや

アップロードされて

みんな無料で吐く

 

ぐったりしたからって

勝手に寝るな

無料で添い寝するな

良質なサービスには相応の対価を支払いなさい

お金を払って寝なさい

それが文化というものであって

道徳

つらい授業だった

次は国語だ

やった

先生が来る

 

廊下は郊外のように呆れているけれど

お芋が好きだから

味がやってくる

すごい色で

絶対に

見て

自分でスイートポテトになろうとしてる

健気

お芋の

お芋の先生

 

そんな芋を食べたわたしの

割腹しなくても

質感までわかってしまう

何事も

中身のことを言うのは下品

でも

おすしも食べました

 

 

ひとが死ぬとすしが出るのはなんでだろう炙りとろサーモンのつやめき

 

 

許してください

先生

仕上げに

卵黄を刷毛で顔に塗っていた

 

 

 

※第7回 詩歌トライアスロン 詩型融合部門 候補作

作者:水城鉄茶

この夜に冷えピタが――平出奔/田中はる『夜のでかい川』4+5首評

中学の同級生をひとり思い出してください。  ……そいつさえいなければ、でしたか?

誰よりも考えているこの夜に冷えピタが必要だったのか

対岸に誰かの炊いた米がある米は勝手に炊からないから

二月尽 風が強くて「かぜつよ」とツイートするときもう止んでいる

/平出奔「了解」『夜のでかい川』

 

一首目、「……そいつさえいなければ、でしたか?」は音数が7・7になっているが、長い結句として読むのかなと思う。「中学の同級生をひとり思い出してください」と言われてふつう思い出すのはたぶん仲の良かった友だちとかだろうと思うので(私はそうだ)、「……そいつさえいなければ、でしたか?」とおもむろに、それでいてにわかに焚きつけてこられるとちょっとドキっとすると同時にだいぶ可笑しくなってしまう。なんなら遡って、「そいつさえいなければ」と思えるような中学の同級生を頭のなかで検索させられる感じもある。

二首目、下句が秀逸なのだが、意味の区切りが曖昧になっていることもこの歌の面白さを増幅させていると思った。つまり、「誰よりも考えている/この夜に冷えピタが必要だったのか」と区切って、この夜に冷えピタが必要だったのかを誰よりも考えている、と読むこともできるし、「誰よりも考えているこの夜に/冷えピタが必要だったのか」というふうに、ほかの何事かを誰よりも考えているこの夜に冷えピタが必要だったのかと問うている、と読むこともできるということ。そういうことを考えていると知恵熱が出てきて、冷えピタが必要になってくるわけだ。

三首目、理由が要るとしたらそこじゃないだろうという面白さ。対岸に米があるのは、たとえばバーベキューをやっているからだとか言えそうなのだが、対岸にある米は誰かの炊いたものなのだという判断について、米は勝手に炊からないからだと説明していて、この明晰にとぼけた味わいがとても良い。炊からない、という言い方も好きだ(茨城の私はふつうに意味が取れたが、方言性があるだろうか)。

四首目、共感性が高い歌だ。何かがあって、それについて書くまでには一定の時間を要するわけで、軽い印象の歌なのだけれども書くということの本質を突いているように思える。「二月尽」という非常に硬い言葉と「かぜつよ」というとてもやわらかい言葉の対照も面白い(「二月尽」には「~なう」との対比の意識もありそうだ)。古人も「あな冷た」というように活用語尾を抜く言い回しをしていたわけで、「かぜつよ」はそういう意味で伝統に連なっているとも言える。

 

 

右手冷えて左手に持ち替えるコーラ 自販機めっちゃ近かった~! って言う

公園に電灯は一つだけあってそこでビールを誰かが飲んだ

なんか言われてなんか思う なんも思わない団地の乳白色の照明

あたための秒数忘れてまた見てるときポケットにあるやばいメモ

天井の照明だけが見えているあの部屋の照明の下の人

/田中はる「外はいい場所。出られれば」『夜のでかい川』

 

一首目、冷た、持ち替えよう、で自販機で買ったコーラを持ち替える、右手から左手へ、炭酸なので振らないように、そうしながら、待ってくれていた親しい友だちのところに戻る。「喉かわいちゃった、自販機探してくるね」がこの前にあり、この後には友だちのセリフが来るだろう。「自販機めっちゃ近かった~!」(かわいい)、つまり自販機から戻る時間はかなり短かった、しかし持ち替えずにいられなかった、それほどこのコーラは冷えていたのだ。コーラは冷えていればいるほどおいしい。

二首目、おそらく夜の小さな公園で、ベンチか何かがあって、それが電灯に照らされていて、そこにビールの空き缶が置かれていたのだろう。空き缶を描写してそれを飲んだひとを想像させる方法もあるが、ここでは余白となっているのは空き缶の視認、そのときの心情(孤独への共感だろうか)のほうだ。そしてフォーカスされているのは、照明の下でビールを誰かが飲んだ、その事実性だ。そこに確かに誰かがいて、おそらくひとり、何かを思って、ビールを飲んだ。そこに感じるものがある。自分のことを「誰か」と呼んでいる可能性もある。

三首目、団地の乳白色の照明を見て、なんも思わない、そのことが歌になっていて、感興のなさがのっぺりとした字余りの結句によく表れている(初句字余りで結句を7音に収める読み方もあるが)。「なん」と「おも」のリフレインも良いし、句跨りも気持ち良く、歌作のときにはわりと気分が良かったのではないかと思う。

四首目、冷凍食品など、レンジであたためるものの袋にはその秒数が書いてあるが、すぐあたためたいのであまりそれをよく見ずにモノをレンジに入れて、時間設定をする段になってやっぱり忘れているなと思ってそれを見直す、上句はそういうことが書かれていると思うのだが、下句でそれとは別に「やばいメモ」をポケットに所持していることが明かされる。やばいメモ……どんな内容なのか気になるところだ。

五首目、アパートかマンションか、部屋の天井を外から見上げているかたち。位置関係で照明しか見えない。それで、「あの部屋の照明の下の人」を想像している。「あの部屋に住んでいる人」などと表現したくなりそうなところだが、「照明の下の人」と言うことによって対象がより直接的に、くっきりと指定される。それでいてその人がどんな生活をしているかはさっぱりわからないのが面白く、知らない固有名による指示のようだと思う。照明がこの他者への唯一の手がかり、アクセスポイントになっている。

頓狂二〇二一

少なくともわたしは同意していない

バカ花火

容易に想像できる

素っ頓狂にすっとんきょうと呼ばれ

沸き上がったときの勢いで

国ごと吹き飛んでいくのだ

どんな気持ちで?

ユリ おまえに口づけるとき

何千何万と死ぬのだ

傾いてかたむいて

正気を保てない

もういないナオは何と言うだろうか

「ひ・と・で・な・し」

戦時下の生活 ミカドの表情は暗い

負けるに決まっているから

違法なサイトをブックマークして

「すごいやらしい!」

社会的に終了していく

セイ子のせいだ

口を奪われた顔を覆って

笑っているのか泣いているのか

トラウマを負ったまま

フライングキャメルスピン

テレビの前の複雑な子どもたち

どう説明すれば?

地震からだろうか

シン臓が桜まみれで美しく

徹底的に狂ってしまったのだ

もう取り戻せないかもしれない

どれだけ金を積んでも

タロ おまえ、まだいるの?

いつまでやるの?

いい加減にしてくれとだけ言ってきたが

話が通じる相手ではない

ヨシ! おまえは言い訳すらしなくなった

ひでえ神経で

さらなる悪夢を見せてくれるらしい

ひもじい

超ひもじい未来

「ひとでなし!」

敗戦

バッハに感動して

花は枯れ尽くす

 

 

※追記:6月末執筆。