おすすめ本10冊
一つのメルヘン
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで珪石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
『一握の砂』「我を愛する歌」より
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
やはらかに積れる雪に
熱てる頬(ほ)を埋むるごとき
恋してみたし
たんたらたらたんたらたらと
雨滴(あまだれ)が
痛むあたまにひびくかなしさ
誰が見ても
われをなつかしくなるごとき
長き手紙を書きたき夕(ゆふべ)
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ
・渡辺玄英『渡辺玄英詩集』(現代詩文庫)
『海の上のコンビニ』
「クジャクな夜」より
いくところないから
コンビニに行ってきました
ほしいものないから
孔雀をほおばってみました
つめたい夜空でした
(きれた電池はどうしようか? きれた電池は?
「ハロー ドリー!」より
ぼくが見るのは
屈葬の夢だ
手足をまげて赤土のなかで眠っている
ひたいのうえに小鳥の卵がのこされていて
青空がつまっている
というのは本当だろうか
こんな青空
動脈の赤
静脈の青
街路樹のくろいひび割れ
街を歩くと
舗道のうえに生卵がつぶれていて
見あげると
電線に幼児がぷらぷらぶらさがっている
『空の時間』より
1
血いつも血
青が青いように
渇きで熟れるオレンジのひっきりなしの爆発
3
無垢な窓を
内へ
内へと
開け放って
悲鳴ははれやかに疾走しなければならない
62
すべてが翔ぶ
永遠に見られない手鏡の中の血のように明るい青空へ
『いちまいの上衣のうた』より
花であること
花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのままおしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
ありえぬ日々をこえて
花でしかついにありえぬために
花の周辺は的確に目覚め
花の輪廓は
鋼鉄のようでなければならぬ
※『続・石原吉郎詩集』もどうぞ。
・永井祐『日本の中でたのしく暮らす』(BookPark)
あと五十年は生きてくぼくのため赤で横断歩道をわたる
くちばしを開けてチョコボールを食べる 机をすべってゆく日のひかり
自販機のボタン押すホットミルクティーが落ちるまで目をつむってすごす
ふつうよりおいしかったしおしゃべりも上手くいったしコンクリを撮る
カラオケでわたしはしゃべらなくなってつやつやと照るホットコーヒー
・舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』(講談社文庫)
僕は智依子に振り払われた手でもう一度智依子の手を取る。もし智依子の言うことが本当で、万が一、万が一、智依子の身体の一部が失われてしまい、そのことで智依子が全く新しい人間に生まれ変わってしまったとしても、僕のことを、じゃあもう一回最初っから、ゼロから、好きになってほしいと思う。僕は智依子にそうお願いする。それから僕は、僕は智依子のことがずっと好きだから、智依子をもう一度捕まえて、智依子にもう一回僕のことを好きにならせてみせる、と言う。すると智依子は言う。でも巧也だって、もう前の私とは違う私のこと、ちゃんと好きなままでいられる?ホント、私が全く別の女の子になったとしても?僕はそんな質問には答えられず、黙ったままで智依子のあのASMAの浮かんで消えた左腕を取り、唇をつける。智依子の肌だ。細かい粉を吹いているようなすへすへの肌。/ごめんね、巧也、私はただ、私は私のままでいて、ずっと巧也のことを好きなままでいたいと思ってるってこと、言いたいだけなんだけど……。
「校舎から飛び降りてもひょっとしたら生き残れるかもしれないけど、宿題なんかやったらわたし、死んじゃうよ。」
「きみの頭は髪の毛を育てるための苗床か? 違うというのなら少しは論理的に考えるということをしたまえよ。」
「僕だけは、きみの嘘を見抜いてあげる。」
知性というものは、すごく自由でしなやかで、どこまでもどこまでものびやかに豊かに広がっていくもので、そしてとんだりはねたりふざけたり突進したり立ちどまったり、でも結局はなにか大きな大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものを目指していくものじゃないか、(…)知性というものは、ただ自分だけではなく他の人たちをも自由にのびやかに豊かにするものだ(…)。
※四部作の続き『白鳥の歌なんか聞えない』『さよなら快傑黒頭巾』『ぼくの大好きな青髭』も素晴らしいのでぜひどうぞ。
ニーチェ好みの「善悪の彼岸」である。しかしニーチェは「神の死」を引き受けようとして孤独だったのに対し、スピノザは彼の神とともにいた。だれの手も煩わせずに、いわば勝手に救われていたのである。