白鳥の肯定――堀田季何『人類の午後』五句評
蠅打つや自他の區別を失ひて
刎ねられし蛇いまだ指咬む力
向日葵や人撃つときは後ろから
生贄を使ひ切つたる旱かな
首振つて白鳥闇を受容れぬ
/堀田季何『人類の午後』
※原文の「受」の字は少し違います。
一句目、蠅に苦戦する様子がとても滑稽に表現されている。もはや狂乱である。
二句目、指を咬んだ蛇の首にあたる部分を刎ねたのだろう、それでも咬む力がある。生命力を感じもするし、怨念のようなものを読み取ることもできると思う。
三句目、向日葵は太陽のほうを向いて咲く、この向日性に対して、後ろから人を撃つことの陰湿さ、卑怯さが際立つのだが、当然のように言われることで結構なおかしみが生まれている。
四句目、旱を終息させようと生贄が次々に捧げられるも、甲斐なし。悲惨な事態だが、このようにすっかり完了したと言われると不思議と清々しい。
五句目、白鳥はみずからを肯定する。
肯定だけが自立した力能として存続する。否定的なものはこの肯定から雷光のように流出するが、しかしながらそこに再び吸収され、溶け込む明かりのようにそこに消え去っていく。
存在の至高の星座よ、いかなる願いも届かず、いかなる否定も汚すことができない、存在の永遠の肯定よ、私は永遠にそなたの肯定である。
フリードリヒ・ニーチェ『ディオニュソス頌歌』、「栄光と永遠」。前掲『ニーチェと哲学』より孫引き。
素晴らしい句集である。