白鳥の肯定――堀田季何『人類の午後』五句評

蠅打つや自他の區別を失ひて

刎ねられし蛇いまだ指咬む力

向日葵や人撃つときは後ろから

生贄を使ひ切つたる旱かな

首振つて白鳥闇を受容れぬ

/堀田季何『人類の午後』

※原文の「受」の字は少し違います。

 

一句目、蠅に苦戦する様子がとても滑稽に表現されている。もはや狂乱である。

二句目、指を咬んだ蛇の首にあたる部分を刎ねたのだろう、それでも咬む力がある。生命力を感じもするし、怨念のようなものを読み取ることもできると思う。

三句目、向日葵は太陽のほうを向いて咲く、この向日性に対して、後ろから人を撃つことの陰湿さ、卑怯さが際立つのだが、当然のように言われることで結構なおかしみが生まれている。

四句目、旱を終息させようと生贄が次々に捧げられるも、甲斐なし。悲惨な事態だが、このようにすっかり完了したと言われると不思議と清々しい。

五句目、白鳥はみずからを肯定する。

肯定だけが自立した力能として存続する。否定的なものはこの肯定から雷光のように流出するが、しかしながらそこに再び吸収され、溶け込む明かりのようにそこに消え去っていく。

ジル・ドゥルーズ著・江川隆男訳『ニーチェと哲学』、河出書房新社、2008年、p.341。

存在の至高の星座よ、いかなる願いも届かず、いかなる否定も汚すことができない、存在の永遠の肯定よ、私は永遠にそなたの肯定である。

フリードリヒ・ニーチェディオニュソス頌歌』、「栄光と永遠」。前掲『ニーチェと哲学』より孫引き。

 

素晴らしい句集である。