メルロ=ポンティにおける呼吸の哲学――『眼と精神』を中心に

 本稿では、哲学者モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908~1961)の身体‐絵画論をおもに「呼吸」に着目して読み解く。彼は身体論と絵画論をオーバーラップさせた特異な著書『眼と精神』(L’Œil et l’esprit, 1961)で、次のように述べている。

 

インスピレーション〔霊感=吸気〕と呼ばれているものは、文字通りに受け取られるべきだろう。まさに《存在》のインスピレーションとイクスピレーション〔呼気〕、《存在》のうちでのレスピレーションというものがあるのであって、ここでは能動と受動はほとんど見分け難く、もはや誰が見、誰が見られているのか、誰が描き、誰が描かれているのか分からないほどである。[1]

 

 何を言っているのかはさておき、まず注目したいのは、呼吸すなわち息を吸うことと吐くことという身体における出来事と、着想と実行という創造活動とが、重ね合わせて論じられているということである。画家ないし芸術家は、息を吸うように着想し、息を吐くようにそれを実行する。メルロ=ポンティはこのように、身体と絵画を別々ではなく二重にして論じている。その際に彼が用いているのが、「呼吸」という比喩であり、「熱気」「生気」「湿気」といった気体の比喩である(ただしこれらの比喩は「文字通り」にとられる必要がある)。本稿ではこうした比喩に着目して身体‐絵画論の核心に迫りたい。

 

 さて、では絵画の創造活動がそれであるところの存在の呼吸とは何か。これを理解するために、そもそも呼吸とは何かを考えてみよう。

 呼吸、それは息を吸うことと息を吐くことであり、そうすることによって細胞活動に必要な酸素を取り入れ、不要な二酸化炭素を吐き出すことである(細胞活動自体も呼吸と呼ばれる)。それは「更新」の働きである(後述)。

 それはいつの間にか、つねにすでに始まっている。

 それはふだん意識されることがない。

 それはどんなときに意識されるのか。人前で話すことになって緊張したとき。スポーツの試合で体がスムーズに動かないとき。つまり、心身が「気負っている」とき、あるいは気負った心身が障害に直面するとき。そして、何らかの「レッスン」をするとき、そうして神経を研ぎ澄ませるとき。

 それは意識されるとどうなるのか。余計に乱れる場合もあれば、整う場合もある。呼吸を意識することが、生を実感することにつながることもある。

 

 存在の呼吸とは何か。存在の呼吸とは、存在を呼吸することであり、同時に、存在が呼吸することでもあるだろう。先に引用した文の直前に挙げられている、画家アンドレ・マルシャンの以下の言葉がヒントになる。

 

森のなかで私は幾度となく、森を見ているのは私ではないという感覚を抱きました。木々こそが私を眺め、私に語りかけてくるのだという感覚を抱いたことが幾日もありました……。私はと言えば、そこにいて、耳を傾けていました……。画家は宇宙に貫かれるべきであり、宇宙を貫こうと願うべきではありません……。私は内的に沈められ埋められるのを待ち受けているのです。おそらく私は浮かび上がるために描いているのです。[2]

 

 画家は宇宙=世界に没入し、貫かれ(吸気)、それを自らのスタイルに従って画布に定着し、世界から浮上する(呼気)。おそらくこれは、ヴァレリーの言葉(とそれを敷衍したメルロ=ポンティの言葉)にも対応している。画家は「自分の身体を運」び、「物に近づきそれを掴み取」る(吸気)だけでなく、「あとじさりし」、遠ざかることもする(呼気)のである(ヴァレリー「邪念その他」)。「画家が世界を絵画に変えるのは、世界に自らの身体を貸し与えることによってである」[3](吸気)とともに、世界から身体を返し戻してもらうことによってである(呼気)。

 画家にとっての吸気とは、メルロ=ポンティのもうひとつの身体‐絵画論「セザンヌの疑惑」(Le doute de Cézanne, 1948)の言葉を使えば、「モチーフをつかむ」ことである。セザンヌは、絵画を作りあげていくただひとつの動機となる「全体として、絶対的な充溢の状態においてとらえられた風景」を「モチーフ」と呼んでいた。[4] モチーフを「つかむ」には、散乱するいくつもの眺めを、人間的な観念や科学に頼らずに(「宇宙を貫こうと」せずに)、とりあつめ接合する必要があった。そのために彼は「観念がそこから抽出され、われわれにそれらを分ちえぬものとして示す、根源的な経験」に立ち戻らなければならなかった。主著『知覚の現象学』(Phénoménologie de la perception, 1945)も引いておこう。「私が光景に身を委ねる運動は、根源的なもの、ほかの作用に還元できないものと、認められなくてはならない。意味の定義や知的な仕上げに先立つ一種の盲目的な認知において、私は光景に加わるのである。」[5] 画家は世界に没入し(光景に身を委ね・加わり)、無垢のままに、評価なしに、物そのものに視線を注ぎ、野生の意味を汲み取るのである。[6]

 画家にとっての呼気とは、作品制作による世界への応答である。画家は眼で聴き、手で応答するのである。芸術と(芸術の)歴史について論じている「間接的言語」(1969, Le langage indirect)において、メルロ=ポンティはこう言っている。

 

超えながら継承し、破壊しながら保存し、変形しながら解釈する、つまり新しい意味をそれを呼び求め予料していたものに注ぎこむという、その三重の捉え直しは、単におとぎ話の意味での変身、奇跡や魔法、暴力や侵略、絶対的孤独における絶対的創造なのではなく、それはまた、世界や過去、先行の諸作品が彼に求めていたものへの応答、つまり成就と友情でもあるのである。[7]

 

 創造活動とはいかに孤独なものに見えようとも世界への応答なのである、と彼は言う。

 

もしわれわれが画家のうちに身を置いてみるならば、しかもそれを生きるべく彼に与えられた身体的宿命や個人的冒険・歴史的事件などが、彼の世界への根本的な関わり方を示す何本かの力線を中軸として、絵を描くという行為に組織される瞬間の画家の立場に身を置いてみるならば、われわれは、彼の作品が、そうした所与の結果ではないにしても、つねにそれらに対する応答なのであって、(…)絵画に生きるということも、依然としてこの世界を呼吸することなのであって、われわれは、画家も人間も、文化の土壌の上で、それが自然によって与えられた場合と同じように「自然的に」生きているのだということを理解しなければならないのである。/われわれは、画家が絵画の歴史と取り結ぶ関係そのものをさえ、「自然的なもの」の様態で考えるべきなのだ。[8]

 

 応答の手前に「反芻」のモーメント、間、溜めがある。画家の作品は、彼に与えられた世界状況の単なる結果ではなく、それを反芻し変形して吐き出したものである。「実生活に長けていようが疎かろうが、世界を反芻することにかけては並ぶ者なき至高の存在として、画家はそこにいる」。[9] 与えられた状況、所与とは、「空気」や「環境」とも言い換えることができる。人はいくらかの空気を吸って、体系的な変形を加えて、それとはいくらか異なるものを吐き出す。「世界の諸所与を或る「首尾一貫した変形」に従わせたとき、意味が存在することになる」(「間接的言語」)。[10] その意味をかたちにすること、成就することが、応答するということである。応答以前には切迫する意味の熱気がある。「セザンヌの疑惑」にはこう書いてある。「「着想」は、「実行」に先立つことはできない。表現以前にあるのは、漠とした熱気だけなのであって、作りあげられ理解された作品だけが、われわれがそこに、無というよりもむしろ何ものかを見出すべきであることを、証しするようになるだろう」。[11] なお、呼気が吸気に先行するというこのロジックは、応答が呼びかけに先行するという、哲学者ジャック・デリダが『アデュー』(Adieu―à Emmanuel Lévinas, 1997)で語っている論理に等しい。

 

応答することから始める必要があるのだ。ということは、始めに、第一の語は存在しない、ということだ。呼びかけは応答から出発して初めて呼びかけとなる。応答は呼びかけに先んじ、呼びかけに先回りして〔呼びかけを迎えに〕到来する。呼びかけが応答以前に第一のものであるとしても、それは、呼びかけを到来させる応答を予期する〔応答においてみずからを待つ〕ためにすぎない。[12]

 

 メルロ=ポンティは言う。性質、光、色、奥行きが「そこ」にあるのは、それらを身体が迎え入れ、それらが身体のうちに「こだま」を呼び覚ますからである。[13] (「そこ」という言葉が強調されているのは、それが単なる座標空間内のある領域ではなくて、私たちの身体と関係するかぎりでの場であることを言いたいのだろう。)世界を(真に迫って)知覚することからして、身体を通してシステマティックな変形を加えることであり、呼びかけに応答することであって、存在を呼吸することなのだ。そしてそうした「こだま」、「肉的応答」のひとつのかたちとして絵画があるのであり、絵画創造ひいては芸術創造一般はいわば存在の深呼吸なのだ。反芻を経た見えるものたる絵画は、「自乗された見えるもの、第一の見えるものの肉的本質ないし図像」である。[14] 制作された絵画あるいは名詞形での呼気は空気ないし雰囲気となり(環境・歴史となり)、いずれ、他者――自己も含むだろう――にまた霊感を与える。

 

画家は、何か或るイメージを作りあげることしかできなかった。このイメージが、他の人々に対して生気を帯びるようになるのを待たなければならないのだ。そのとき、芸術作品は、あのばらばらの生をひとつに結び合わせるようになるだろう。そのとき、芸術作品は、もはや、とりついて離れぬ夢やいつまでも続く錯乱として、それらの生のうちのひとつのなかにだけ存在するということはなくなるだろうし、絵具を塗った一枚のキャンバスとして、空間のなかにだけ存在するということもなくなるだろう。それは、或る永久の獲得物として、いくつかの精神のなかに、おそらくは可能なるすべての精神のなかに、分割されることなく住まい続けるようになるだろう。[15]

 

絵画は見えないものを見えるようにする。世俗的な意味での見えるものは己れの前提――両立不可能な複数の見えの戯れ、全体的可視性――を忘れている。絵画は全体的可視性を再創造し、そうすることで見えるもののうちに捕われていた亡霊を解き放つ。絵画によって、見えないものが見えるようになる。絵画は「身体のなかで物が熱気を帯びて生まれてくるその秘かな生成」[16]を目指しているのである。

 「肉的応答」という言葉が出たが、この「肉」とは、「見えるもの、動きうるものとして、私の身体は物の仲間であり、物の一つであり、世界という織物のうちに編み込まれている(…)他方、私の身体は見、動く〔自分を動かす〕のだから、自分の周りにぐるりと物をつなぎとめており、(…)世界は身体と同じ生地で仕立てられている」[17]と彼が言うときの、この「生地」に等しい。なべて私たちは呼びかけと応答のように避けがたく絡み合っている。のっぴきならないかたちで世界に織り込まれている(「世界内存在être au monde」)。[18] 沈黙のうちにつながれている。身体をもつとはそうした「つながれ」に浸り感じ合うことなのであって、そこに、生きることの根源的な受動性がある。そして私たちを常時つないでいるのは空気ないし大気である。[19] 空気による、微粒子によるつながり。身体の気づき――身体に気づくこと、身体が気づくこと――は、こうした根源的なつながれに気づくことなのであって、だから呼吸を意識することが生を実感することに通じる。私たちに必要なのは空気を読むことではなく空気を感じることである(空気の読み方は空気に書いてありプログラムのようにインストールされてしまうのだが)。[20] 存在の呼吸について、「ここでは能動と受動はほとんど見分け難く、もはや誰が見、誰が見られているのか、誰が描き、誰が描かれているのか分からないほどである」という冒頭の引用は、上に述べたような絡み合いのことを言っている。存在を呼吸しているのか存在が呼吸しているのか、もはやわからないのである。

 存在の呼吸とは存在の更新である。(存在を呼吸するとは存在を更新することであり、存在が呼吸するとは存在が更新することである。)空気があって、それを吸い、一定の間(反芻の時間ないし肺のプロセス)があって、息を吐き、それがまた空気になって、また空気を吸う、「空気→吸気→間→呼気→空気→吸気→……」という流れは、閉じた円環を描くかに見えて、螺旋状に昇っていく軌線を描く。日々息をするように知覚するたびに、世界の見え方は少しずつではあるが全体的に新しくなる。出来事としての知覚、これまでのパースペクティヴから新しいパースペクティヴへの移行の繰り返しは、真理への絶えざる接近である。[21] 存在の深呼吸の産物たる絵画は、私たちの吸気を大幅に変え、呼気を変え、世界を変える。絵画は私たちを「別な世界」に出会わせる。「間接的言語」から引こう。

 

「色や線のある種の思いきった均衡や不均衡は、そこに半開きになっている扉が別な世界の入り口であることを発見する人を動転させる」。別な世界、――われわれはこれを、画家が見ているその同じ世界であり、それ自身の言葉を語ってはいるが、しかしそれを後ろに引っぱりあいまいな状態に引き止めておこうとする無名の重圧から解放された世界、と解しておこう。実際、画家とか詩人が、どうして世界との出会い以外のものでありえようか。抽象芸術でさえ、世界を否定したり拒否したりする或る仕方以外の何について語るのか。幾何学的な面や形を厳しく守り、それらに憑かれてみたところで、そこには、たとえ恥ずべきあるいは絶望した生活にもせよ、まだ生活の匂いがあるのだ。絵画は、散文的な世界の秩序を組みかえるのであり、そしてもしお望みならば、詩が通常の言語を燃やしてしまうように、物を生けにえにするのだ、と言ってもよい。だが、人々が再び見直したり読み返したりしたがるような作品の場合には、無秩序はつねにもう一つの秩序なのであり、新しい等価価値の体系は、他でもない、まさにこの動転を要求するのであって、そうした等価価値の間の通常の結びつきが断ちきられるのも、事物間のより真なる関係の名においてなのである。[22]

 

 扉はつねに半開きになっており、世界との出会いが待ち受けている。存在が切迫している。画家は新たな世界を啓示する。「芸術家ひとりびとりが仕事を改めて初めからやり直すのであり、世に伝えるべき新しい世界をもっているのである」。[23] 新たな世界への移行は生地の縫い直し・編み直しを必要とするのであり、編み直すためにはいったんつながりを断ち繊維を引き裂かなければならないこともある。これが「あとじさり」ということの意味なのである。新しい秩序が動転を経て人々に受け入れられるとき、画家の孤独はひとまず解消されることになるだろう。が、「実在するものの表現とは、限りない仕事」[24]であって、「あと何百万年経とうと、もしまだ世界があるならば、画家たちにとって世界はまだ描かれるべきものであるだろうし、世界はついぞ完全に描き終えられることなく終わるだろう」。[25] 過去を捉え直し更新(アップデート)する作業には終わりがないのである。

 そしてその更新作業は画家だけの役目ではなく、呼吸をするすべての者の役割である。作品が吹きこむ新鮮な空気は、鑑賞者が毎日紡ぐ言葉に乗って伝播する。作品鑑賞はどこかで確実に鑑賞者を更新しており、作品について直接論じなくとも、彼あるいは彼女のが吐く言葉は作品のこだまであり批評になっている。

 また、付け加えるならば、世界の更新を記述する務めを負っているのが哲学である。メルロ=ポンティは言っている。「哲学とは哲学自身の出発点に立ち帰って、繰り返しこれを体験し直すことである。哲学のすべてはこの端緒を記述することに存する」。[26] 世界の始まり・発生、世界が私たちに触れるところに立ち帰り、記述を絶えず再開し続けること、繰り返し始めること。それはいつの間にか行われている呼吸や自らを取り囲んでいる空気に意識を向け、それをあらためて感じ直すことだ。

 

 このように、メルロ=ポンティは、私たちを取り囲みつなぐ空気と、呼吸による不断の更新について思考している。生きるとは生きなおすことである、と言い切って終いにしたい。

 

 

[1] モーリス・メルロ=ポンティ『眼と精神』、『『眼と精神』を読む』所収、富松保文訳、武蔵野美術大学出版局、2015年、第17段落、p.96.

[2] 同書、同段落、p.95~96.

[3] 同書、第5段落、p.67.

[4] モーリス・メルロ=ポンティセザンヌの疑惑」、『意味と無意味』所収、粟津則雄訳、みすず書房、1983年、p.21,22.

[5] モーリス・メルロ=ポンティ『知覚の現象学』、中島盛夫訳、法政大学出版局、1982年初版、2009年新装版、p.308.

[6] 前掲『眼と精神』、第4段落。

[7] モーリス・メルロ=ポンティ「間接的言語」、『世界の散文』所収、滝浦静雄訳、みすず書房、1979年、p.96.

[8] 同書、p.106.

[9] 前掲『眼と精神』、第4段落、p.65~66.

[10] 前掲「間接的言語」、p.87.

[11] 前掲「セザンヌの疑惑」、p.24.

[12] ジャック・デリダ『アデュー』、藤本一勇訳、岩波書店、2004年、p.39.

[13] 前掲『眼と精神』、第11段落。

[14] 同書、同段落。

[15] 前掲「セザンヌの疑惑」、p.27.

[16] 前掲『眼と精神』、第16段落、p.93.

[17] 同書、第9段落、p.72~73.

[18] 加賀野井秀一が言うように、「世界内存在は、すでに意味連関を意味連関として把握できる主体や、すっかり意識になりきれる主体のレベルで語られてはならない。主体としての私の意識が登場するよりも前に、「匿名の私」としての諸器官は、すでに世界をまさぐり始めており、知覚は、前人称的、前客体化的な層において生起している。つまるところ身体は、ハイデガー的「現存在」やサルトル的「対自存在」よりもはるかに先がけ、すでにのっぴきならぬ形で世界と関わってしまっているのである」(加賀野井秀一メルロ=ポンティ 触発する思想』、白水社、2009年、p.138)。しかし世界内存在が常に世界と「融合」しているかといえば必ずしもそうではないだろう。世界からの浮上のモーメント、生地の裁ち直しのプロセスがある。

[19] 「われわれの生は純粋な「存在」ないし「客観」という目も眩むような光に向っているどころか、言葉の天文学的意味において大気(atomosphére)をもっている。われわれの生は、感性的世界もしくは歴史と呼ばれるこれらの霧に絶えず包まれている、すなわち身体的生に属するひと(on)と人間的生に属するひと(on)とに包まれ、現在と過去とに包まれているのである。これらは、数多の身体と精神の入り交じった全体として、さまざまな表情や言葉、行為の混淆として、われわれの生を包んでおり、それぞれが一つの同じ何ものかの極端な差異、偏差なのだから、それらすべての間に、それらに対して拒むことのできないこうした連関が伴っているのである。」(モーリス・メルロ=ポンティ『見えるものと見えざるもの』、中島盛夫監訳、伊藤泰雄/岩見徳夫/重野豊隆訳、法政大学出版局、1994年初版、2014年新装版、p.138.)

[20] 前掲『眼と精神』、第28段落。

[21] 「新たな現れは、たんに過去の知覚の誤りを訂正するだけではない。それは過去の現れと共存し続け、それに回顧的に意味づけを付与することによって、それを相対的に正当化してもいる」(廣瀬浩司「身体の根源的な制度化――メルロ=ポンティ存在論的身体論――」、筑波大学紀要『言語文化論集』53号所収、2000年)。

[22] 前掲「間接的言語」、p.90.

[23] 前掲『知覚の現象学』、p.314~315.

[24] 前掲「セザンヌの疑惑」p.19.

[25] 前掲『眼と精神』、第42段落、p.193~194.

[26] 前掲『知覚の現象学』、p.14.

 

 

参考文献

モーリス・メルロ=ポンティ『知覚の現象学』、中島盛夫訳、法政大学出版局、1982年初版、2009年新装版。

モーリス・メルロ=ポンティセザンヌの疑惑」、『意味と無意味』所収、粟津則雄訳、みすず書房、1983年。

モーリス・メルロ=ポンティ『眼と精神』、『『眼と精神』を読む』所収、富松保文訳、武蔵野美術大学出版局、2015年。

モーリス・メルロ=ポンティ「間接的言語」、『世界の散文』所収、滝浦静雄訳、みすず書房、1979年。

モーリス・メルロ=ポンティ『見えるものと見えざるもの』、中島盛夫監訳、伊藤泰雄/岩見徳夫/重野豊隆訳、法政大学出版局、1994年初版、2014年新装版。

廣瀬浩司「身体の根源的な制度化――メルロ=ポンティ存在論的身体論――」、筑波大学紀要『言語文化論集』53号所収、2000年。

加賀野井秀一メルロ=ポンティ 触発する思想』、白水社、2009年。

ジャック・デリダ『アデュー』、藤本一勇訳、岩波書店、2004年。

茶をすする

香車の周りを跳ねる動物たち

おかしくなった心臓からのエール

ぼくたちはもうがんばることができないのだろうか

大切な感情をケミカルに抑えて

社会の端っこでうずくまるぼくら

苦いつらみの茶をすする

毛糸をたどるリスのまばたきを見ながら

トラは光っている

おろしたてのタオルのように真っ白なネコが

つまずく小石のような

無機的な幸せをぼくたちは望む

盤面にはホワイトチョコレートの細片が散り踊る

迂闊なパンダが縁から落ちる

どこまでも不器用で打つ手なしのぼくら

三角を積み上げて四角を作ろうとして

悲しい怪物ができあがる

誰にも復讐することができないので

金将を川面にアンダースローする

半熟の空を背景に

キリンに蹴られて死んでしまえよ

秋迫る九月のひととき

外出

包囲され

密封されていた

真空の膜を突き破り

ぼくはペケーッと外に出た

 

Suicaってピッて便利だね

イェーイ湘南新宿ライン

流れる夕暮れ液

子どもはいつでも打楽器奏者

 

Suicaってピッて便利だねピッて

ソリッドなハチ公尻目に

レッツ・スクランブル交差

交錯するぼくら個性的な蟻たち

 

田舎育ちの狂った蟻は

インターネットカフェに漂着

座敷 と称するにはあまりに狭く風情がない個室

また囲われている

 

息が詰まる前に

攻撃的な瞑想……

肉体を脱け出た わたし

旅に出る

 

藍 深海の木立を縫って叫ぶ銀河

そこで白熱する溶岩の喜び

和音クリスタル馬に跨ってきらきらと水中を駆け

熱狂する魚らの口々に文庫本を押し込んでゆく

 

触れると弾ける虹の金平糖を散布し終えたら

火照った地下鉄でなわとびをしよう

本当の教室で鋭い無限音楽を聴こう

何だってできる発光リンゴジュース100%!

 

小動物の断末魔! に似た隣人の歯ぎしりが

わたしをぼくに引き戻す

鈍重な肉

閉塞窒息焦燥空間

 

ウッと押さえつけられる胸

ワーッとちりちりする背中

無理だ

もうここにはいられない

 

外に出ると夜で

600mの自動車が横付けされていて

運転手は鳥で

鳥の運転手さんはドアを開けてくれる

 

「事情は承知しております

 ご案内しましょう

 紫陽花の夜を引き裂いて

 電気と酸素とレモンの国へ」

朝の

何色の朝が激痛をもたらす

すっぴんがウーパールーパー

許された食卓で

今はヨーグルトをいっぱい口に含むの

 

何して暮らそう

あと半世紀

私の執事はどこへ

秘書はどこへ行ってしまったのか

 

窓から入って来る車

の走行音を聞いて過ごす

何味だったガム

 

「死」の一文字を書いては

消す 規則正しく

電車にはねられていく

春、手近な森へ

春 壊滅

オレンジジュースの割腹自殺

話すことに嫌気が差し

牛がパンケーキになり

聴くことに倦み

豚がアップルパイになり

読むこともままならず

鶏がチュロスになり

観ることもわずらわしく

死んだ顔で甘いものばかり食べ

スマホを取ったり投げたりする

鉄筋コンクリート造の家の

鉛布団の憂鬱にあって

柔弱な身体の奥底から

こみあげる

呪詛の言葉

を飲み込め なくなったとき

私は

ためらわず

自らの喉を掻き切る

(ことができるだろうか

 

そうしたら

きっと

切り口から

呪いを押しのけて

スイートアニマルズ

飛散して

次々と

シュガー振りまいて

私だったものを

運んでくれる

私は

チュッパチャップスなめつつ

彼らの後に続く

森へ

お菓子の家へ

チョコレートのスコップで

埋葬を終えたら

ソーダのシャワー

飲むように浴び

浴びるように飲む

甘い猫や犬や兎と戯れる

いかなるストレスもない

森での生活

 

何度目かの春

どす黒く激怒する雲

吹きつける暴風

叩きつける豪雨

雷光のように

合金製ポン・デ・ライオン鋭くあらわれ

家に驀進

炸裂

お菓子の家、倒壊

わたあめのベッドでツムツムしていた私は

板チョコやウエハースやクッキーの下敷きになり

離れでテトリスしていた私は助かる

飴の窓から顔を出した私に

無表情で

「耐震構造なってない」

とだけ言い残し

クラッシャーは去る

残骸を見ながら思う

戻ろう しっかりした家に

あのハードでビターな家に

甘味はもう少し抑えよう

私を強く建築するために

家が無くなっても

しぶとく生きていけるように

これ以上

私を埋葬せずに済むように

ゲームキューブハンマー

限界まで注いだカーテンを弾丸が撃ち抜く。ひりひりする傷口を優しく撫でると清新な葡萄の香りがして、まだ死にたくないと思う。しかし終わりが近づく。ひえーという間抜けな悲鳴とともに、飴のシャッターが下りる。なんでこんなことするんだっ なんでだっ ずろろろろ。連続している男児、の音がかき消されるとき、罅の入った一升瓶が異空間に吹き飛ばされ、稽古に熱が入り、目覚ましい美肌効果が確認され、弁護士が闇討ちされる。ご存知ゲームキューブハンマーで決定的な一撃が加えられ、天気が生暖かく一変し、とんでもない美人のハイヒールが折れる。海外から急遽オファーが来て、14月まであるカレンダーを手作りすることになっちゃう。カレンダーを破り捨てるように脱皮する女児たちの連続する2月ももう半ばを過ぎる。ほとんど裁判のような面接で、どもる声が消え入りながらステンレスのテーブルを震わせ、その振動で林檎が燃えたち、落ちる。ときに、私はカクテルを飲んだことが一度だけある、それは、ぴんとした、不透明な水色の液体で、なかなか悪くなかった、だから頑張ろう潔くと思ったのだ、潔く、とろんとしながら、潔く、潔くと。まだ何も終わっていないし終わらないのだった。

石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』紹介

 

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

 

 

石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』(1969年)は、近代化と水俣病によって崩壊・分裂する生活世界とそこで苦悩・格闘する人々のありさまを、鋭敏な感受性をもって書き綴った名著である。著者の想像で書かれた部分も含んでいるため、フィクションとノンフィクションの境界にある特異なテクストになっている(が、読む者はこれを全き真実の記録であると感じずにはいられないだろう)。本著作は多数の論点を含むものであるが、本稿では、生活世界の分裂と崩壊、医学の問題と病いの身体、今日的意義の三点について論じたい。

 

まず水俣病について確認しておこう。水俣病とは、イタイイタイ病四日市ぜんそく新潟水俣病とならぶ四大公害のうちのひとつである。化学工業の会社、新日本窒素(チッソ)の工場排水に含まれた有機水銀メチル水銀)が原因となり、1950年代から熊本県水俣市を中心に大きな被害をもたらした。『苦海浄土』はこれを克明に記録している。不知火海に流されたメチル水銀は、水底に厚い糊状の沈殿物となってへばりつき、紺碧の海を不気味な暗緑色に変えた。異臭を放つことから察せられる通りこれは有毒でもあり、まず魚がやられ、これを食餌とする猫は狂い踊って死に、海鳥は落下し、人は以下の症状を呈した。言語障害、知覚障害、運動障害、麻痺、痙攣、痙攣発作(突発行動)、流涎……。水俣病は世界でも類を見ない恐ろしい病いであった。

第1章「椿の海」の「死旗」の節で、著者は「村時計」仙助老人に注目している。人との交わりを断ち、娘らをも追い遣って、一人焼酎を飲み飲み剣豪列伝風の小説を読んで暮らす彼は、しかし毎日規則正しい生活をしており、人々は彼を見て「『爺さまのお茶の時間じゃ。もう六時ぞ』」(石牟礼道子『新装版 苦海浄土 わが水俣病』、講談社、2004年、63頁)という具合に時刻を知るのだった。彼は水俣のノモス(社会の秩序)を体現していたのだ。彼は、昔から続く人々の生活スタイルに密着した時間、生きられる時間を体現していた。だが、1960(昭和35)年、仙助老人は水俣病にかかり、端坐していると突然「両のまなこをおさえて、ばたりと引っくり返ったりする」ようになる。こうして「人々は日々の暮らしのどこかがかすかに、たとえばほどけてゆくぜんまいのようになってゆくのを感じ」る(70頁)。人々の生活の秩序が、近代化の産物たる公害によって、狂い始める。

『苦海浄土』の前半、とくに第3章、第4章は、こうした生活世界の分裂・崩壊を描きつつも、幻想的で美しい描写が目立つが、解説の渡辺京二は、「このような美しさは、けっして現実そのものの美しさではなく、現実から拒まれた人間が必然的に幻想せざるをえぬ美しさにほかならない」(365頁)と注意を促している。著者は、壊れつつある世界にあって、コスモス(自然の秩序)を、万物が照応し交感していた世界、全体性・統一性のある、自らの存在そのものでもあった世界を、幻視せずにはいられない。「『苦海浄土』を統一する視点は(…)分裂を知らぬ「ユマニスト」のそれではなく、この世界からどうしても意識が反りかえってしまう幻視者の眼」である(384頁)。こうして「苦海が浄土となる」(383頁)のだ。

 

ではその第3章を中心に、医学の問題と病いの身体について考察してみよう。医学のまなざしは往々にして即物的、生物学的であり、「病気を見て人を見ない」と言われる。そのようなまなざしのもとでは、患者はモノのように扱われ、固有性を喪失し、単なる肉体と化してしまう(162頁および179,180頁等参照)。医者がそのような姿勢では、真に患者をケアすることは不可能である。患者の生きられる経験を重視した、共感的医療が望ましい。「不思議な優しさが両者の間に漂」うような、フラットで共感的な関係が望まれるのである(58頁)。その際必要なのは、バスの迎えに応じようとしない「山中九平少年」にとことんつきあう「市役所衛生課吏員蓬氏」のように、根気強く寄り添うこと、あるいは、著者のように、沈黙を尊重することだ。

第3章「ゆき女きき書」の「五月」の節をみると、1955(昭和30)年、40歳で水俣病を発症した坂上ゆきは、自己と世界との乖離、また自己と身体との乖離、を感じ、孤独の寂しさを覚えていることがわかる。「あの昼も夜もわからない痙攣が起きてから、彼女を起点に親しくつながっていた森羅万象、魚たちも人間も空も窓も彼女の視点と身体からはなれ去り、それでいて切なく小刻みに近寄ったりする」(149頁)。「うちゃだんだん自分の体が世の中から、離れてゆきよるような気がするとばい。(…)心ぼそか。世の中から一人引き離されてゆきよるごたる。うちゃ寂しゅうして、どげん寂しかか、あんたにゃわかるみゃ」(151頁)。「うちは自分でできることは何もなか。うちは自分の体がほしゅうしてたまらん。今は人の体のごたる」(159頁)。病いの経験は、このように、世界認識のありよう、自己認識のありようをがらりと変えてしまうものとしてある。だから、患者と接する際には、健康な身体の枠組みを押し付けたり無理に解釈したりしないように注意しなければならない。これはいいかえれば、病いを抱えた人を理解するためには、自らの認識の自明性をかっこに入れる必要があるということである。

 

以上のような観点から、石牟礼の「水俣病は文明と、人間の原存在の意味への問いである」という言葉の意味がわかるようだ(250頁)。水俣病はそれを生んだ文明、すなわち近代産業社会に疑問を付し、人間のありかたの自明性を宙吊りにする。豊かさを追求する資本主義が、その周縁において豊かさとは程遠い最悪の苦痛を産み出すという逆説がここにはあり、この逆説を前にして人は立ち止まり自らのありかたを見つめなおすことを要請される。これはまさに今日的問題ではないだろうか。

水俣病事件と原発事故の状況の類似について、あえて詳述することは控えるが、以下のようなことが言えるだろう。企業と村落共同体が資本を介してずぶずぶの関係にあり、文明の悲惨を引き起こしてからもそこから抜け出すことが容易でないこと(119頁等参照)。脱出の途を行こうとする者たちがいる一方で、なお神話的眠りをむさぼろうとする者たちがおり、リアリティの分割線が引かれているように思われること。

相違点としては、原発から出る汚染水は水俣の排出水とは異なり無味無臭、無色透明であり、また生物を蝕むのに比較的時間がかかることを挙げておこう。私たちにはその危険性を認識する想像力が要請されている。そうした想像力を養うのに『苦海浄土』は役立つだろう。実践的にも多くの教訓が得られるだろう。

『苦海浄土』の副題は、「わが水俣病」である。石牟礼道子は、悲惨に見舞われた人々に直に触れて憑依されたかのごとくなり、水俣病をわがものとした。「この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ」(147頁)。そして、使命感にしたがって素晴らしい著作を残した。

触れることからすべては始まる。まずは読んで触れることだ。本著作は方言を多く含み、読みやすいとは言いがたい。しかし、じっくりゆっくり読むことは語り手を憑依させるにはよいことだ。そうすることで、わたしたちは新たなる呪術師、新たなる巫女になることができる(なお、1927年3月11日生まれの石牟礼氏は、2015年11月6日現在もご存命である)。

『苦海浄土』は、今、とっくりと時間をかけて、読むべき本である。