この夜に冷えピタが――平出奔/田中はる『夜のでかい川』4+5首評

中学の同級生をひとり思い出してください。  ……そいつさえいなければ、でしたか?

誰よりも考えているこの夜に冷えピタが必要だったのか

対岸に誰かの炊いた米がある米は勝手に炊からないから

二月尽 風が強くて「かぜつよ」とツイートするときもう止んでいる

/平出奔「了解」『夜のでかい川』

 

一首目、「……そいつさえいなければ、でしたか?」は音数が7・7になっているが、長い結句として読むのかなと思う。「中学の同級生をひとり思い出してください」と言われてふつう思い出すのはたぶん仲の良かった友だちとかだろうと思うので(私はそうだ)、「……そいつさえいなければ、でしたか?」とおもむろに、それでいてにわかに焚きつけてこられるとちょっとドキっとすると同時にだいぶ可笑しくなってしまう。なんなら遡って、「そいつさえいなければ」と思えるような中学の同級生を頭のなかで検索させられる感じもある。

二首目、下句が秀逸なのだが、意味の区切りが曖昧になっていることもこの歌の面白さを増幅させていると思った。つまり、「誰よりも考えている/この夜に冷えピタが必要だったのか」と区切って、この夜に冷えピタが必要だったのかを誰よりも考えている、と読むこともできるし、「誰よりも考えているこの夜に/冷えピタが必要だったのか」というふうに、ほかの何事かを誰よりも考えているこの夜に冷えピタが必要だったのかと問うている、と読むこともできるということ。そういうことを考えていると知恵熱が出てきて、冷えピタが必要になってくるわけだ。

三首目、理由が要るとしたらそこじゃないだろうという面白さ。対岸に米があるのは、たとえばバーベキューをやっているからだとか言えそうなのだが、対岸にある米は誰かの炊いたものなのだという判断について、米は勝手に炊からないからだと説明していて、この明晰にとぼけた味わいがとても良い。炊からない、という言い方も好きだ(茨城の私はふつうに意味が取れたが、方言性があるだろうか)。

四首目、共感性が高い歌だ。何かがあって、それについて書くまでには一定の時間を要するわけで、軽い印象の歌なのだけれども書くということの本質を突いているように思える。「二月尽」という非常に硬い言葉と「かぜつよ」というとてもやわらかい言葉の対照も面白い(「二月尽」には「~なう」との対比の意識もありそうだ)。古人も「あな冷た」というように活用語尾を抜く言い回しをしていたわけで、「かぜつよ」はそういう意味で伝統に連なっているとも言える。

 

 

右手冷えて左手に持ち替えるコーラ 自販機めっちゃ近かった~! って言う

公園に電灯は一つだけあってそこでビールを誰かが飲んだ

なんか言われてなんか思う なんも思わない団地の乳白色の照明

あたための秒数忘れてまた見てるときポケットにあるやばいメモ

天井の照明だけが見えているあの部屋の照明の下の人

/田中はる「外はいい場所。出られれば」『夜のでかい川』

 

一首目、冷た、持ち替えよう、で自販機で買ったコーラを持ち替える、右手から左手へ、炭酸なので振らないように、そうしながら、待ってくれていた親しい友だちのところに戻る。「喉かわいちゃった、自販機探してくるね」がこの前にあり、この後には友だちのセリフが来るだろう。「自販機めっちゃ近かった~!」(かわいい)、つまり自販機から戻る時間はかなり短かった、しかし持ち替えずにいられなかった、それほどこのコーラは冷えていたのだ。コーラは冷えていればいるほどおいしい。

二首目、おそらく夜の小さな公園で、ベンチか何かがあって、それが電灯に照らされていて、そこにビールの空き缶が置かれていたのだろう。空き缶を描写してそれを飲んだひとを想像させる方法もあるが、ここでは余白となっているのは空き缶の視認、そのときの心情(孤独への共感だろうか)のほうだ。そしてフォーカスされているのは、照明の下でビールを誰かが飲んだ、その事実性だ。そこに確かに誰かがいて、おそらくひとり、何かを思って、ビールを飲んだ。そこに感じるものがある。自分のことを「誰か」と呼んでいる可能性もある。

三首目、団地の乳白色の照明を見て、なんも思わない、そのことが歌になっていて、感興のなさがのっぺりとした字余りの結句によく表れている(初句字余りで結句を7音に収める読み方もあるが)。「なん」と「おも」のリフレインも良いし、句跨りも気持ち良く、歌作のときにはわりと気分が良かったのではないかと思う。

四首目、冷凍食品など、レンジであたためるものの袋にはその秒数が書いてあるが、すぐあたためたいのであまりそれをよく見ずにモノをレンジに入れて、時間設定をする段になってやっぱり忘れているなと思ってそれを見直す、上句はそういうことが書かれていると思うのだが、下句でそれとは別に「やばいメモ」をポケットに所持していることが明かされる。やばいメモ……どんな内容なのか気になるところだ。

五首目、アパートかマンションか、部屋の天井を外から見上げているかたち。位置関係で照明しか見えない。それで、「あの部屋の照明の下の人」を想像している。「あの部屋に住んでいる人」などと表現したくなりそうなところだが、「照明の下の人」と言うことによって対象がより直接的に、くっきりと指定される。それでいてその人がどんな生活をしているかはさっぱりわからないのが面白く、知らない固有名による指示のようだと思う。照明がこの他者への唯一の手がかり、アクセスポイントになっている。