石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』紹介

 

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

 

 

石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』(1969年)は、近代化と水俣病によって崩壊・分裂する生活世界とそこで苦悩・格闘する人々のありさまを、鋭敏な感受性をもって書き綴った名著である。著者の想像で書かれた部分も含んでいるため、フィクションとノンフィクションの境界にある特異なテクストになっている(が、読む者はこれを全き真実の記録であると感じずにはいられないだろう)。本著作は多数の論点を含むものであるが、本稿では、生活世界の分裂と崩壊、医学の問題と病いの身体、今日的意義の三点について論じたい。

 

まず水俣病について確認しておこう。水俣病とは、イタイイタイ病四日市ぜんそく新潟水俣病とならぶ四大公害のうちのひとつである。化学工業の会社、新日本窒素(チッソ)の工場排水に含まれた有機水銀メチル水銀)が原因となり、1950年代から熊本県水俣市を中心に大きな被害をもたらした。『苦海浄土』はこれを克明に記録している。不知火海に流されたメチル水銀は、水底に厚い糊状の沈殿物となってへばりつき、紺碧の海を不気味な暗緑色に変えた。異臭を放つことから察せられる通りこれは有毒でもあり、まず魚がやられ、これを食餌とする猫は狂い踊って死に、海鳥は落下し、人は以下の症状を呈した。言語障害、知覚障害、運動障害、麻痺、痙攣、痙攣発作(突発行動)、流涎……。水俣病は世界でも類を見ない恐ろしい病いであった。

第1章「椿の海」の「死旗」の節で、著者は「村時計」仙助老人に注目している。人との交わりを断ち、娘らをも追い遣って、一人焼酎を飲み飲み剣豪列伝風の小説を読んで暮らす彼は、しかし毎日規則正しい生活をしており、人々は彼を見て「『爺さまのお茶の時間じゃ。もう六時ぞ』」(石牟礼道子『新装版 苦海浄土 わが水俣病』、講談社、2004年、63頁)という具合に時刻を知るのだった。彼は水俣のノモス(社会の秩序)を体現していたのだ。彼は、昔から続く人々の生活スタイルに密着した時間、生きられる時間を体現していた。だが、1960(昭和35)年、仙助老人は水俣病にかかり、端坐していると突然「両のまなこをおさえて、ばたりと引っくり返ったりする」ようになる。こうして「人々は日々の暮らしのどこかがかすかに、たとえばほどけてゆくぜんまいのようになってゆくのを感じ」る(70頁)。人々の生活の秩序が、近代化の産物たる公害によって、狂い始める。

『苦海浄土』の前半、とくに第3章、第4章は、こうした生活世界の分裂・崩壊を描きつつも、幻想的で美しい描写が目立つが、解説の渡辺京二は、「このような美しさは、けっして現実そのものの美しさではなく、現実から拒まれた人間が必然的に幻想せざるをえぬ美しさにほかならない」(365頁)と注意を促している。著者は、壊れつつある世界にあって、コスモス(自然の秩序)を、万物が照応し交感していた世界、全体性・統一性のある、自らの存在そのものでもあった世界を、幻視せずにはいられない。「『苦海浄土』を統一する視点は(…)分裂を知らぬ「ユマニスト」のそれではなく、この世界からどうしても意識が反りかえってしまう幻視者の眼」である(384頁)。こうして「苦海が浄土となる」(383頁)のだ。

 

ではその第3章を中心に、医学の問題と病いの身体について考察してみよう。医学のまなざしは往々にして即物的、生物学的であり、「病気を見て人を見ない」と言われる。そのようなまなざしのもとでは、患者はモノのように扱われ、固有性を喪失し、単なる肉体と化してしまう(162頁および179,180頁等参照)。医者がそのような姿勢では、真に患者をケアすることは不可能である。患者の生きられる経験を重視した、共感的医療が望ましい。「不思議な優しさが両者の間に漂」うような、フラットで共感的な関係が望まれるのである(58頁)。その際必要なのは、バスの迎えに応じようとしない「山中九平少年」にとことんつきあう「市役所衛生課吏員蓬氏」のように、根気強く寄り添うこと、あるいは、著者のように、沈黙を尊重することだ。

第3章「ゆき女きき書」の「五月」の節をみると、1955(昭和30)年、40歳で水俣病を発症した坂上ゆきは、自己と世界との乖離、また自己と身体との乖離、を感じ、孤独の寂しさを覚えていることがわかる。「あの昼も夜もわからない痙攣が起きてから、彼女を起点に親しくつながっていた森羅万象、魚たちも人間も空も窓も彼女の視点と身体からはなれ去り、それでいて切なく小刻みに近寄ったりする」(149頁)。「うちゃだんだん自分の体が世の中から、離れてゆきよるような気がするとばい。(…)心ぼそか。世の中から一人引き離されてゆきよるごたる。うちゃ寂しゅうして、どげん寂しかか、あんたにゃわかるみゃ」(151頁)。「うちは自分でできることは何もなか。うちは自分の体がほしゅうしてたまらん。今は人の体のごたる」(159頁)。病いの経験は、このように、世界認識のありよう、自己認識のありようをがらりと変えてしまうものとしてある。だから、患者と接する際には、健康な身体の枠組みを押し付けたり無理に解釈したりしないように注意しなければならない。これはいいかえれば、病いを抱えた人を理解するためには、自らの認識の自明性をかっこに入れる必要があるということである。

 

以上のような観点から、石牟礼の「水俣病は文明と、人間の原存在の意味への問いである」という言葉の意味がわかるようだ(250頁)。水俣病はそれを生んだ文明、すなわち近代産業社会に疑問を付し、人間のありかたの自明性を宙吊りにする。豊かさを追求する資本主義が、その周縁において豊かさとは程遠い最悪の苦痛を産み出すという逆説がここにはあり、この逆説を前にして人は立ち止まり自らのありかたを見つめなおすことを要請される。これはまさに今日的問題ではないだろうか。

水俣病事件と原発事故の状況の類似について、あえて詳述することは控えるが、以下のようなことが言えるだろう。企業と村落共同体が資本を介してずぶずぶの関係にあり、文明の悲惨を引き起こしてからもそこから抜け出すことが容易でないこと(119頁等参照)。脱出の途を行こうとする者たちがいる一方で、なお神話的眠りをむさぼろうとする者たちがおり、リアリティの分割線が引かれているように思われること。

相違点としては、原発から出る汚染水は水俣の排出水とは異なり無味無臭、無色透明であり、また生物を蝕むのに比較的時間がかかることを挙げておこう。私たちにはその危険性を認識する想像力が要請されている。そうした想像力を養うのに『苦海浄土』は役立つだろう。実践的にも多くの教訓が得られるだろう。

『苦海浄土』の副題は、「わが水俣病」である。石牟礼道子は、悲惨に見舞われた人々に直に触れて憑依されたかのごとくなり、水俣病をわがものとした。「この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ」(147頁)。そして、使命感にしたがって素晴らしい著作を残した。

触れることからすべては始まる。まずは読んで触れることだ。本著作は方言を多く含み、読みやすいとは言いがたい。しかし、じっくりゆっくり読むことは語り手を憑依させるにはよいことだ。そうすることで、わたしたちは新たなる呪術師、新たなる巫女になることができる(なお、1927年3月11日生まれの石牟礼氏は、2015年11月6日現在もご存命である)。

『苦海浄土』は、今、とっくりと時間をかけて、読むべき本である。